一寸先は、青空。
その下に広がる、白い闇。




卒業




卒業式を終えて、ぼんやりと空を見る。
地面は冷たくて、引き寄せたマフラーからは、消えきらない煙草の匂いがした。
三月。
暦の上では春だというのに、凍えるように寒い。
抜けるような青空が、ぽっかりとして物悲しく感じるのは、きっと、卒業式の雰囲気に流されて、ほんの少し感傷的になったいるだけだ。

「なんかさー・・・一人の女が長いとさー、そいつ以外に勃たなくなりそうで怖えー」

旧校舎の裏、コンクリートの壁にもたれかかりながら、上を向いて声を出す。
声は凍り付いて、白い靄になった。

「どのくらいだっけ?カオルと・・・」
「二年半」
「あんたにしては、確かに長い・・・か」

イチゴミルクのパックを両手で温めるようにして、ストローを咥える。
美咲は最近、髪を伸ばし始めた。

「十代の二年間って、ハンパねーよ?」

しゃべるたびに、靄が昇っていくのに、空は相変わらず青いままだ。
美咲はふっくらした唇に、笑みを浮かべた。
見なくても、気配でわかる。

「じゃぁ私たちの十七年間は、すっげぇ半端ねーな?」
「ハンパねーよ。スゲーよ。保育器から高校卒業まで、エライ歴史だよ」

美咲と俺は、同じ産婦人科で生まれて、家が近所で、小学校も中学校も、なぜか高校まで、ずっと一緒。
美咲はよく笑う。よく怒るし、よく泣く。
だから今日も、卒業式だからって、歌が歌えないほど号泣した。

「カオルとうまく行ってないの?」
「行ってるよー順調。そっちと違って、卒業してもよろしくやるつもりですし」
「いやみな男はもてないはずなんですけどね・・・」

ストローを咥えたまま、美咲が言う。
ゴポゴポとイチゴミルクが音を立てた。

「何で別れたんだっけ?大井、悪い奴じゃねーじゃん?」
「いい奴だけど、それと恋愛感情はイコールではないの」
「難しいねぇ」
「あんたは単純すぎ」

女の悲鳴みたいな音を立てて、風が吹き付けてくる。
葉を失った木が、細い枝を震わせる。
卒業式を終えて、カオルとはまだ会ってない。
友達と記念だとか言って、写真と撮りまくって、アルバムに落書きをし合っているのは見た。
歌えないほど泣き出した美咲に気付いて、俺は当たり前みたいに、こいつの方へ走り出していた。
すぐに泣く。
だから見張ってないといけない。
方向音痴の癖に、好奇心旺盛で、どこにでも行く。
そんで、泣く。

「知ってる?大井の奴、まだ美咲のプリクラ、ケータイのバッテリーに張ってんの」
「うわ、キモー」
「うわ、ひでぇー」
「とか言いながら、私も張っていたりするんだが」
「うわ、キモー」

美咲の携帯は、カオルと違ってシンプルだ。
だからバッテリーの裏に、こっそり張られたプリクラが、すごく妙で、俺は大笑いした記憶がある。
美咲は制服のスカートから、白い、ストラップもついていない携帯を取り出して、何気なく画面を開く。
パキン、という乾いた音が、やけに大きく響いた。

「待ち受けは、敦なんだよ」

空になった紙パックを、ストローを咥えたまま、まだ持っている。
美咲の言葉に、俺は思わず振り向いていた。
目の前に、突き出されたディスプレイには、まだ目も開かない赤ん坊が二人。
まん丸な頭を、お互いにぶつけ合うようにして、眠っている。

「期待しちゃったじゃん」
「敦も持ってるでしょ?この写真」
「アルバムにはってんじゃん?多分」
「私、コレ好きなの。かわいいから」
「自画自賛」

言って、元の位置に戻った俺に、美咲が小さな声で笑った。
あはは、と笑うこの声が、何故だか遠くに聞こえる。
卒業式、美咲の泣き出した理由はわからなかったけれど、いつものように頭をなでてやった俺に、当たり前のようにすがり付た。
この、声や、腕や、暖かさが、もう当たり前でなくなることに、俺はその時気付いた。
美咲は、もう隣にいない。
美咲は、もう、俺の隣には、居ない。
紙パックを膨らましたり、へこませたりして遊んでいた美咲が、何かを思い出したように立ち上がる。
俺の前に立ち、いつものように、小ばかにするように頭をなでる。

「忘れてた、私バイトだから、もう行くね」

ひらひらと、美咲のマフラーが揺れている。
かぎ慣れた美咲の髪の匂い。
美咲の笑った顔。

じゃりじゃりと遠ざかっていく靴音が、鼓膜に残る。

「みさきぃ!」

それを振り払うように、俺は叫んでいた。
靴音が止み、驚いたような顔で振り返る美咲がいた。
数秒、見詰め合う。

「ば――――か」

耐え切れず俺は、地面に崩れ落ちて、言った。
美咲は一瞬不機嫌そうな顔をしたが、すぐに笑った。

「アホ―――!」

腹の底から、大声で言って、走り出す。
美咲は、よく笑う。
よく怒って、すぐに泣く。
だから見張ってないといけない。
方向音痴の癖に、好奇心旺盛で、どこにでも行く。
そんで、泣く。

俺は、地面に突っ伏したまま、美咲の走り去る音を聞いていた。

今日は、追いかけなかった。

ポケットの中で、携帯が震えた。
開いてみると、カオルからのメールだった。
理由はよく解らないけれど、ゴメン、とか書かれていた。

「カオル?今どこ?・・・俺?まだ学校。あーマジで?じゃァ一緒に帰ろうよ」

携帯電話を耳に当てながら、立ち上がる。
空を見上げて、息を吐いた。




一寸先は、青空。
その下に広がる、白い闇。




―――――――――卒業おめでとう、俺



<了>