……………a colorless child…

新規採用とかで軍部に入ってきた新人は、はっきり言って礼儀が成ってない。
自分のデスクに行儀悪く両足を投げ出して、リバ・リィナ・カーン教官はくたびれた煙草をふかしていた。

「ぬぁーにがルーキーだ、こん畜生」

上と下の歯で煙草を噛み、苦々しく吐き捨てる。

「大体上官様を何だと思っていやがる、あの小童ども」

開け放された窓から、時を告げる鐘が聞こえてくる。
ああッ畜生!とまた愚痴を吐いてから、リバは勢い良く椅子から立ちあがった。
どれだけ嫌っていようが、嫌われていようが、彼らは愛すべき部下で、生徒なのだ。
陸軍第三部隊一班・主任教官と言う立場上、リバは彼らを見捨ててやるわけには行かなかった。

 

 

 

「っだぁぁあああ―――!!てめェこのやろ!真面目にやり腐れ!!」

午後の日差しも穏やかなマゼンダ郊外。
教官・リバは今日も元気に、殆ど黒に近い赤毛を逆立てん勢いで、怒鳴り散らしていた。

「地図では比処っすよー?」

その声に長い金髪を後ろで一つにまとめた、愛すべき悪童・ルウィン・アークが顔を上げる。

「てめェ!軍人学校で何習ってきやがった!地図の見方もわからんのか!!」

彼の手から地図を乱暴に取り上げ、再び怒鳴る。小指で耳をほじりながら、ルゥークはやれやれとやる気無くその声を聞いていた。
今日の仕事は、先の戦で残された地雷の撤去。一歩でも間違えば大惨事にも成りかねない大仕事だ。
まぁ最も、その地雷をまいた国には既に、”火薬入りの”地雷など作る余裕などは残されてはいなかったのだが。

「っあーあぁ、クッソだるー!」

リバのお小言を最後まで聞き終えて、わざとリバにも届く音程でぼやくルゥーク。

「てめェコラ!本気で殴るぞ小僧!」

そんなルゥークに、リバが大人気なく大声で怒鳴っている。
地雷の処理に当っている他のメンバーをよそに、仲の良い二人の攻防は未だ終わる気配は無い。
地を掘り返し、予定どおり八つの地雷をジープにつんだ所で、同じ班のバァン・シーナ・グレンがリバに声をかけた。

「教官、終わりました」
「あぁ!?最終確認でもしとけ!クソガキ!!」

ぐるりと振り返り、怒気もそのままに命じるリバ。バァンは溜息を付きつつ他の面々を振り返った。

「なぁ、そろそろこの役、かわってやろうとか、思わんか?」
「やー、お前が適任だよ。俺らだったら殴られるもんよ」

自分より遥かに年上の同僚は、掌をひらひらさせながら、笑っている。
ルウィン・アークと出会ってからこっち、何故か貧乏くじを引かされ続けているバァンは、本日何度目かの溜息を吐き出した。

「バァン、このおじサン何とかしてよー」

眉を八の字にまげて、自分の後ろに隠れたルゥークに、バァンは更なる貧乏くじを引かされる。

「誰がおじサンだ、てめェ!教官には最低眼のマナーっつぅモンがあるだろうが!あぁ!?」
「あの…教官…」
「大体なんだ、てめェ、そのチャラチャラしたナリはよ!軍人やるんだったらもっとビシッとしろや!ビシッとォ!!」
「ですから…教官…」
「しかもてめェ昨日無断外泊しやがっただろ!あぁん!?この研修が終わるまでは俺が責任者なんだよ!てめェらが問題おこしゃぁとばっちり受けんのはこっちなんだ!解ってやってやがるだろこの野郎!!!」
「あの…」

教官のお小言に、われ関せずと顔を背けたままの友人と、そんな相手にも構わず、怒鳴り続けるリバの間に挟まれるバァンに、今日も救いの手は差し伸べられる事は無かった。

 

 

 


マゼンダの軍兵が集まる食堂は、今日も鬼気迫る物がある。

「あ、あそこ開いてる」

日頃の要領の良さで二人分の昼食を手に入れたルゥークは、既にもみくちゃにされているバァンを引きずって、食堂の一角に席を発見する。向かいに座らせて皿を渡すと、こちらを睨みつけているバァンを無視して、ルゥークは料理に手を付けた。

「あんまり怖い顔してるとそんな顔になっちゃうよー?」
「誰の所為だ、お前の所為だ。自覚は無いのか」
「良いじゃん、食えんだし」
「今度から俺は独りで食う」
「無理だね」

憎憎しげにフォークを握り締めるバァンに、ルゥークが余裕のこもった笑みを吐く。友人の反応に更に視線を鋭くするバァン。ルゥークはいけしゃあしゃあと言ってのけた。

「比処は戦場だぜー。適を出し抜く為には、囮作戦くらい基本だろ」
「だったら今度からはお前が囮になれ」
「ヤ、ですー。食堂のおばちゃんどもに群がれるなんて、嬉しくねェモン。花街ならいざ知れず」

飯を食いつつベー、と舌を出す。
ルゥークの作戦とは、正攻法で料理を手に入れるわけではなく、女性の間で絶大な人気を誇る友人を餌に、食堂で働く女達に飯を横流ししてもらうと言う物だった。
むかむかと肩を怒らせながら、バァンは皿の中身を掻きこんだ。それから、瞬く間に食べ終わると勢い良く立ち上がり、高らかに宣言する。

「お前とはもう口聞かん!」
「無理でしょー」

皿を持ち上げて出て行こうとするバァンの背後にルゥークのやる気の無い声が飛ぶ。
だが珍しく、お人よしのバァンは立ち止まらなかった。

「何怒ってんのー」
「元々おめェなんかとは元々釣り合わねぇんだよ、バァンちゃんはよー」

ルゥークの声を聞きつけたのか、同期の軍兵が話しかけてきた。その後ろからは、彼と同じ班だと思われる若い男たちが、手に皿を持って付いて来ている。
飯を食う手はそのままに、ルゥークは眉を寄せた。

「何でヨ」
「何でヨって事ねェだろ。あいつはガス・グレン中佐の息子だぜ。教官だってあいつには強い事言えねェし」
「…うちのおっさんは思う存分暴言吐いちゃってるけどね」
「そりゃよ、お前んトコのリバ教官は特別だし」

空になった皿に、フォークを転がす。同僚は今までバァンの座っていた席に腰を下ろし、仲間たちは連れ立って近くに場所を確保していた。
自分とバァンが、同期の間で良い目で見られていないのは自覚していたが。

(あのおっさんも嫌われてたんだなァ)

うちの班最悪じゃん。と言葉にならない溜息を吐く。

「知ってるだろ、お前も。リバ教官の悪評」
「ま、ねー…」

曖昧に、やる気の無い相槌を打つ。目の前の男はそんなルゥークの態度に、むっとしたらしい。口の端に浮かんでいた笑みを、更に皮肉めいた物に代えた。

「確かお前の親父も比処で兵隊やってたらしいじゃん。良いヨなァ。お前等みたいに後ろ盾があると。親の七光りで出世できんだもんよ」

椅子の背もたれにふんぞり返って、仲間たちに視線を送る。それを見てか見ないでか、男たちは一斉に嫌味な笑い声を上げた。

「あーぁあ、クソだりー」

笑い声の中、ぼそりとルゥークが吐いた。彼の言葉に男たちの笑みが消える。同時にそこに浮かんだのは、鋭い怒りの色だった。

「調子乗ってんじゃねェぞ、ガキが!」
「あーやだやだ。未だ成人して間もないいたいけな少年に、本気で凄んじゃって。欲求不満なの?オジサン」

ニッコリと女好きのする顔で綺麗に笑う。男が立ちあがり、食堂のテーブルが大きな音をたてた。
金髪をかきむしり、目の前で何かを罵る同僚に目を向ける。
喧嘩を買う気はサラサラ無かったが、そのうちの一人が呟いた言葉を耳にした時、頭の中でブツンと派手な音を立てて、何かが切れた。

「上等だてめぇら!泣かされて後悔すんじゃねェぞ、コラ!!」

珍しく、ルゥークの怒鳴り声が食堂に響き渡った。

 

 

 

「あーなんだ、うん。俺は今日ほど哀いと思った事はねェ」

半壊した食堂内で、正座させられている教え子を見下ろしつつ、リバは感慨深げに呟いた。
そばでは医療班が大慌てで床に転がっている男たちの治療に当っている。リバの隣で呆然としているバァンの顔は、何故か泣き出しそうだった。
口で強い事を言っていようとも、自分もバァンも成人したばかりの十五の少年に過ぎない。感情のコントロールは今だ不安定なままだ。

「反省は、してるよなァ?」

しゃがみこんで、リバはルゥークの顔を覗きこんだ。リバの顔には既に、怒りを通り越した殺気すら漂っている。

「…俺、悪くない」

正座した膝の上で拳を握り締めるルゥークは、押し殺したように膨れた声を出した。

「公共物破壊しといて悪くねェだぁ!?どう言う良識してやがるんだ、馬鹿野郎!!」
「食堂壊したのは俺だけじゃねェだろぉ!?」
「阿呆!!こんな力技、おめェの他に誰が居る!!」
「そう言う良い方すんなよ!何か俺、マッチョみたいでヤじゃん!」
「何くだらねェ事ぬかしてんだ!!いっぺん死ぬかこのヤロー!!!」

ついにルゥークの襟首を掴み上げて、怒鳴り散らすリバ。がくがく揺すられながら、ルゥークは必死にリバの腕を押さえつけた。

「死んだら人間終わりですー!いっぺんとか言う単語は不適切でしょー!?」
「だから何でお前はそう言う下らん事を…!!!」

顔を真っ赤にして更にルゥークを強く揺する。されるままにしてルゥークは、はぁぁと溜息を付いた。

「自分に学が無いからって、部下にヤツ当りだよ、コノヒトは…」
「マジ殺す!!!!」

リバの瞳の色が変わった。今度こそ情け容赦無い殺気が放たれる。
真っ青な顔をして、咄嗟にバァンがリバの腕に縋りついた。

「落ち着いてください教官!幾らルゥークでも、殺したら殺人罪です!!」
「幾らルゥークってどーゆー事ヨ」

叫び、教官をなだめる友人を余所に、ぼそりとぼやくルゥーク。バァンの説得が項を奏したのか、ルゥークはリバの腕から開放された。いきなり両手を離され、勢い良く床にしりもちを付く。顔をしかめた所で、バァンが駆け寄ってきた。

「ルゥーク、こんな事をしたのには、お前でも何か理由があったんだろう?」
「お前でもって、何。ってゆぅか俺とは口聞かんのじゃなかったのー?」
「!」

半分瞼を下ろして、あさっての方向を向くルゥーク。一方バァンはバツの悪そうな表情を浮かべて口をつぐんだ。
だが、これではフォローの意味が無い。
悔しさをぐっと押し殺して、バァンは無理に感情の無い声を出した。

「理由を説明するんだ、ルゥーク」
「イヤー」

ルゥークは両目を閉じて、バァンから顔を背ける。そんな横柄な態度に、幾らバァンと言えど、臨界点を超えた。

「泣かすぞ、てめェ!!」
「あ、このヤロ!俺にそんな態度取りやがるか!!」

互いに互いの襟首を掴んで、ぎりぎりと睨み合う二人。この二人が喧嘩などおっぱじめたら、食堂など幾つあっても足りはしない。

「あーっ、コラ、やめねェか!!」

二人の間に割って入りながら、リバも怒鳴る。

「うるせェクソオヤジ!引っ込んでろ!」

緑色の瞳でルゥークがリバを睨めば、バァンが更に大声を上げる。

「あんたは関係無いだろ!!」

そう言われて思いきり突き飛ばされる。そろそろ大人と言えど、理性に限界が見えてきた。

「いい加減にしないか!!!」

リバが腰の獲物を抜きかけた時、もと食堂の瓦礫に、大声が響き渡った。
あぁ!?っと目を吊り上げたまま振り返った三人は、声の主を見つけた処で、同時に凍りついた。
腕を組んで自分達を見下ろす偉丈夫は、比処マゼンダ軍隊最強とまで言われる、ガス・グレンその人だったのだ。

 

 

 

宿舎に戻ってからのバァンの落ち込み様は尋常ではなかった。尊敬して止まないガス・グレンに叱られた事が相当応えたらしい。

「怒られたくらいで落ち込むなよ」

大人に叱られる事など既に慣れっこのルゥークが、バァンのベッドでごろごろしながら、やる気無く慰めようとしている。ベッドの端に腰を下ろしていたバァンは、ちらりとルゥークを振り返り、一旦わざわざ目を合わせた上で、思いっきり顔を背けた。

「…どうしてそう言う可愛らしい事してくれちゃうかね、お前は」

あっさり挑発に乗って、起き上がるルゥーク。しかしバァンは振り向かなかった。

「何だよ、怒られたのは俺の所為かよ」

口を尖らせる友人にも、バァンは無反応だ。どうやら今度こそ、『口を聞かない宣言』を実行するつもりらしい。
だがそこで引き下がるほど、ルゥークも普通の人ではない。

「おもしれェ。何処まで耐えられるか、試してやろうじゃないの」

ニヤリ、とルゥークが意地の悪い笑みを浮かべた。そんなルゥークの思惑など、全く気付いた様子も無く、バァンは無言のまま立ちあがり、就寝具をまとめて部屋を出て行こうとする。返事がないことは解っていたが、ルゥークは一応、バァンに行き先を尋ねてみた。

「何処行くの」

ルゥークの声に、ちらりと振り返ったバァンは、やはり何も言わないまま、これでもかと言う力を込めて、扉を閉じた。

「はッ!上等だこのヤロー!後で後悔すんなよ!!」

バァンのベットに残った枕を投げつけて、反応が返らない扉をを恨みがましく睨みつける。
あぁもう!面白くない。
膨れた顔で、ルゥークはごろんと寝そべった。目を閉じて、これからの仕返しを綿密に計画して行く。
眠りに落ちるまで、その表情は硬く不機嫌なままだった。

 

 

 


鈍感なバァンが、ルゥークの計画に気がついたのは、翌朝。何時も通りの時刻に、班の集合場所に集まった時だった。

「…あの…?」

バァンが集合場所に現れた瞬間、その場の空気が硬直した。首を傾げて、理由を聞きたそうにしている彼に、意を決した様に班の最年長が歩み寄ってきた。そして、バァンの未だ成長し切ってない両肩に、掌を乗せる。ぽんぽんと上下させるその様は、まるで慰めているようだった。

「…あの…」
「頑張れよ…、こう言う事は…応援しちゃぁいけねェんだろうけどよ…」
「…はぁ」
「おめぇは未だ若ェし、ほら…なんだよ…」
「…何でしょう」
「あぁ…うん。大事に、してもらうんだゾ」
「はぁ?」

肩にあった両手でいつの間にか、手を握られ、同僚が辛そうに精一杯の笑顔をくれる。見れば周りに立っていたほかの班員達も、同じような表情を浮かべている。中には、堪え切れず嗚咽を漏らしている者すら居た。

「…あの…」

もしかしなくとも元凶である所のルゥークが、満足げにうんうんと頷いていたりする。バァンは物凄く不安になった。

「一体、何がどうしたって言うんですか」
「アイスタン皇子の護衛担当に抜擢されたそうじゃないか」

ブ―――――!

同僚の同情するような言葉に、勢い良くバァンは吹き出していた。

 

 

 

何がどうしてこんな事になり腐ったのか、リバは自分の担当するバァン・シーナ・グレンの異動通告書を受け取り、表情を凍りつかせた。
あの悪評高いアイスタン第三皇子の護衛担当。
出世では確かに有るだろうが、できれば避けて通りたい道だと誰しもが思っている事だろう。リバは小さく息を吐いた。
デスクに乗せていた足を下ろし、その傍らで重たい空気を背負っているバァンに向き直る。

「まぁ、なんだ。わざわざ直で指名されるなんざ、そうそうあるもんじゃねェからよ!自信持って行けや!!」
「………俺、第三皇子に何かしたでしょうか…」
「…いや、この間の任務で偉く気に入られてたのは、確かに記憶に有るが…」
「……俺の…何が…お気に召しましたでしょうか……」
「……いや、そんな事俺に聞かれても…。…なぁ?」

そこで一気に沈黙が流れる。
アイスタン皇子と始めて顔を合わせたのは、バァンがリバの担当する班で研修を受け始めて、間も無い頃だった。その時は確か、アイスタン皇子の鷹狩の御供だった気がする。が、その後の大惨事ばかりが記憶に焼き付いて、詳しく覚えていない。
何がどうしてそうなったのか、アイスタン皇子の悪ふざけで、皇居内に有る山が一つ全焼してしまったのだ。

「あー…まぁ短い間だったが、おまえの上司として、一言言わせてもらうとだな」

コホンと咳払いをするリバ。バァンは顔を上げた。

「死ぬなよ」

リバの真っ直ぐな瞳には迷いが無く、それが冗談ではない事が痛いほど伝わってきた。

「…死なない程度に頑張ります…」

そう言ったバァンの言葉はもはや、神仏に捧げられる生贄のごとく、儚い雰囲気を醸し出していた。
それを窓の外から伺っていたルゥークは、何気なく現れた気配に振り返り、思わず足を滑らせそうになった。必死に窓わくにしがみつき、何とか雨よけに留まる。三階の高さから落ちれば、幾らルゥークと言えど、ただでは済まないだろう。

「…ガス・グレン…あんた何してんですか、こんな所で」

自分と同じように窓の雨よけにしゃがみこんで、室内を覗きこむ上官は、一種異様な姿である。
ふん、と軽く鼻を鳴らして、ガス・グレンは父親の顔で呟いた。

「今回ばかりは悪ふざけが過ぎた様だな」
「…流石のガス・グレンも息子が可愛いんだねェ」
「お前程ではないぞ」

モス・グリーンの瞳を依然、部屋の中に投げてガス・グレンが言う。ルゥークは少し顔をしかめた。

「別に、バァンの事そんな風に思ってないよ」
「そうか?」
「つっかかるね」

笑っているものの、ルゥークの言葉は何時も以上に鋭い。静かに息を吐き、ガス・グレンは窓から顔を離した。

「…ルゥーク、一つ言っておく」
「何」
「今のような態度を続けていれば、何時かしわ寄せが来るぞ」
「何、それ」

緑色の瞳で、ガス・グレンを睨みつける。
正直言って、ルウィン・アークにとってガス・グレンは苦手な種類の人間だった。
その言葉も物腰も、落ち着き払っていて、少しの隙すら見せない。
何もかもを見透かされている様で、絶対に勝ち目がないのだと言われているようで、悔しいのだ。

「人は笑いたい時に笑うものだ。腹が立った時に怒るものだ。…だが、周りを知れば知るほど、人間はそうする事が出来なくなる」

しゃがんでいた足を雨よけの外に投げ出し、逞しい腕を組む。ガス・グレンにならって、というか既に逆らえず、ルゥークも同じように窓に背を向けた。

「お前は、知らなくて良い事まで知ってしまった」
「教えたのはあんた達だよ」
「…なら、私に仕返しすれば良いだろう。たかが息子だと言うだけで、バァンに手を出すな」
「好き勝手言ってくれるよな、あんたらはさぁ」

唇の端を吊り上げて、笑う。そうやって笑った自分が、昨日食堂で自分を嘲笑った男たちに重なって、更に怒りが増した。

「俺もバァンも、大人の道具じゃないんだよ」
「ルゥーク…」
「バァンに付きまとうの止めて欲しいんならさ!今謝ってよ!地べたに頭擦りつけて…!」

姿を隠して盗み聞きをしていた事など忘れて、ルゥークがガス・グレンを怒鳴りつけた。苦々しく唇を噛んで、目の前の男に隠そうともしない殺意を向ける。
だが、やはりガス・グレンはそんな挑発には乗らなかった。微かに眉を寄せ、哀しそうな顔をした。

「…!!」

言葉にすらならない怒りが、身体中を駆けまわる。口惜しさに、涙さえ浮かんだ。

「どうしてあんたが!あんたなんかが同情する!!」

叫んで、立ちあがった。部屋の中の二人に見つかろうが、そんな事はもうどうでも良かった。

「俺をこんなにしたのは、あんた達だろう!!」

悲鳴のような声。
その声を聞きつけ、窓の外に視線を投げたバァンは目を疑った。そこにあった、ルゥークと、ガス・グレンの姿に驚いて、それ以上に、ルゥークの瞳の色に身体を硬直させた。
見覚えの有る色だと思った。

「おい!何やってんだこんな所で!!」

驚いてリバが窓を開け放つ。その視線の下に、ようやくガス・グレンを見つけて、リバは動きを止めた。

「…あんたまで、何やってンすか」

呆れ果てた顔で、ガス・グレンを見やる。そんなリバに、腕を組んだままのガス・グレンは一旦、うーんと短くうめき、

「食堂の修理費などの請求は、やはりお前にするべきか?」

真面目腐った顔で尋ねてくる。

「はぁ!?何言ってんですか!!幾ら責任者といえど、俺らの安月給知ってるでしょう!あんたも!!」
「…そうだが…。それ以上に研修兵の給料は安いぞ?」
「だからって…!!」

真っ青な顔をして言葉を失うリバ。ちっと小さく舌打ちして、ルゥークはひらりと近くの木に飛び移る。

「あっコラ待ちやがれ!!」

怒鳴るリバに一瞥をくれ、ルゥークはそのまま姿をくらませた。

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