子供の頃から、両親は共働きで、家事をするのは当たり前に育ってきた。
兄弟は多いけれど、姉も妹もいないので、自然家事は私の分担となった。

だから別に、すごい事なんかじゃない。
でも彼は、知人の欲目ってやつで、私にはべらぼうに甘い。





お弁当
藤和と紅音・12






お弁当を、毎朝自分で作っていると言ったら、驚かれた。
驚かれた後に、極上の笑みでもって、拒否権一切なしの、おねだりをされた。
普段より一つ多いお弁当箱に、兄弟に不思議そうな顔をされたのは言うまでも無く。
理由を問われて、私はぶっきらぼうに、気にするな、とだけ告げて、逃げるように家を出た。
それが、今日の朝。

「紅音(あかね)ちゃんの家は、卵・・・甘いんだねぇ」

立ち入り禁止のはずの屋上で、お弁当を頬張る藤和(とうわ)は、恥ずかしいくらいに幸せそうに笑っている。
そんな藤和の顔をじっと、既ににらみつけるくらいの勢いで眺めながら、私は落ち着かない気分を、ため息でごまかした。

「どうしたの?」
「・・・・ここ、立ち入り禁止だし。しかもまだ、お昼じゃないし」

ぼそぼそと告げる私に、藤和が首を傾げて笑った。
日の光が、藤和の髪に反射して、眩しいくらいに彼を綺麗に飾り付ける。
私はそんな自分の恥ずかしい思考回路に、嫌気がさしてまたため息をついた。

「いいじゃんたまには、早弁。お昼まで我慢できなかったんだもん」

ニコニコと笑いながら、子供みたいなことを言う。
藤和はどうやら、私の落ち着かない理由を、既に察しているようだ。

「すごく、おいしい」

多分どんなにまずくても、この人はそう言うだろうと、思っていた。
別に、まずく作ったつもりはないが、普段からお抱えシェフの高級料理を味わっているその舌が、私の庶民は丸出しのお弁当に、満足するはずがない、と言う事も理解している。

「・・・・そう、よかった」

けれどそんな卑屈な考えをしているなんて事を、悟られてはいけない。
藤和は傷つく。

「紅音ちゃん、どうしたの?怖い顔して」
「地顔ですけど」
「そんな事ないよ。紅音ちゃんは、普段はもっと可愛い顔してるよ」

さらりと言って、私の頭をなでる。
不覚にも、赤面しているのがわかった。

「うるさいな、しょうがないでしょ、こういう性格なんだから」

藤和の子供をあやすような仕草に、頭に来たけれど、手を振り払う事はしなかった。
恥ずかしくてとても言えたものではないが、正直、藤和に頭をなでられるのは嫌いじゃない。

「紅音ちゃんってホント、褒められるの嫌いだよね」

屋上に地べたに座ったままの、藤和の膝の上に、弟が去年まで使っていたお弁当箱が乗せられている。
育ち盛りを理由に、去年新調したお弁当箱は、私の使っているものに比べると、ゆうに二倍はある。
あれだけ食べておきながら、何故身長が伴わないのか、姉として少し心配なところはあるのだけれども。
・・・・いや、今はそんな逃避をしている場合ではない。

「・・・・あの、調子に乗らないでいただけますか?」

いつの間にやら距離を詰められて、目の前にある藤和の顔を押しのける。
藤和は少し不満そうな顔をした後、諦めたように私の額に頬をくっつけてきた。
後ろから頭を抱えられ、私は身動きが取れなくなる。

「調子に乗るなって・・・・」
「紅音ちゃん、素直じゃないなぁ」

怒りを込めて低い声で発音すると、視界の端で藤和が笑った。
私はわけが解らず、藤和を見上げると、彼はようやく手を離した。

「俺が褒めてるのに、どうして嫌そうな顔するの?」
「別に、嫌だなんて思ってないよ。・・・ただ」

言いかけて、言葉を切った。
藤和は首をかしげて私を見ている。
この言葉を出したら、藤和はどう思うだろう。
普段あまり表に出さない本音を、藤和はどう捕らえるだろう。

ただ、少し。

不安を覚えたまま、それでも優しい藤和の笑顔に、逆らえない。

「好きじゃ、ないだけ。私は単純だから、褒められるとすぐ調子に乗るでしょ」
「そうかな?」
「そうなの。解んないかも知れないけど、それで、自惚れるの。・・・・それが嫌」

きょとん、とした顔で藤和がこちらを見ている。
私は、正直に答えてしまった事を、少し後悔した。
どう考えたって卑屈で、情けない返答だ。
藤和の評価が下がってしまったかもしれない。

「めんどくさいなァ」

あっけらかんと、藤和が言う。
内心大いに傷つきながら、顔を上げた私の目の前で、藤和がおかしそうに笑っていた。

「本人に向かってめんどくさいとか・・・普通、言う?」

あまりに子供っぽい笑顔に拍子抜けして、私は藤和をにらみつけた。
藤和の明るい口調に、胸中に広がっていた不安が途端、霧散する。
どうやらまだ、彼の私への評価は、ぎりぎりのところで合格点を保っているようだ。

「でも、そういうの面白い」

少し首をかしげて、意地悪な目をする。
藤和は軽く笑って、その言葉の説明求める私を無視したまま、食事を再開してしまった。
藤和があの顔をして笑うとき、たいてい私には良くない事が起きる。
ふと、藤和の左手が、私の髪に触れた。

藤和の予測どおりの行動に、背中がむずむずする。
褒められるのは、苦手だと今言ったばかりだというのに。

「よく出来ました」

まるで子供をあやすように優しく笑って、藤和の掌が、イイコ、と私を褒め称えるのだ。


別に、すごい事なんかじゃない。
でも彼は、知人の欲目ってやつで、私にはべらぼうに甘い。


私はそれが、恥ずかしくて、むずがゆくて、・・・・嬉しくて、
たまらないんだ。

  

<了>