ここは、藤和(とうわ)の庭。
私は、藤和の箱庭に住んでいる。
一切合切を管理され、支配された綺麗な庭に、住んでいる。
だから抵抗なんて無駄だって、ホントはとっくに気付いてる。
箱庭
藤和と紅音・9
まだまだ夏の日差しが痛い、9月。
夏休みはすでにあけてしまったが、まだまだ夏休み気分の抜けない学生も多い。
それは私も例外ではなく、今日は久しぶりに寝坊をしてしまった。
私は目覚まし時計を持っていない。
兄弟が多いせいか、早朝にベルを鳴らすと、めちゃくちゃ反感を買う。
だから私はいつも、枕元に携帯を置いて、時間になるとバイブが鳴るようにセットしている。
「携帯が壊れたかもしれません」
遅刻ぎりぎりで教室に入り、そんなわけの解らない言い訳をする私に、担任教師は珍しい事もあるもんだ、と苦笑した。
そう、私は時間に厳しい。
「紅音(あかね)ちゃん、遅刻したんだってね」
放課後、生徒会室で資料の整理に当たっていた私に、開口一番藤和が言った。
その楽しそうな顔をにらみつけ、私は棚から取り出したファイルをぱらぱらめくって中身を確かめる。
「遅刻、しそうになっただけ。本鈴には間に合いました」
思いっきり不機嫌な声で答えてやると、藤和はしたり顔で近づいてきた。
詰められた距離分、私は後ずさりする。
「何で避けるの」
「ニヤニヤ笑いながら近づいてこないでください。気分が悪いです!」
「本鈴に間に合っても、予鈴を過ぎたら遅刻と一緒だって言ったの、紅音ちゃんだよね」
私の抗議をさらりと聞き流して、藤和が私の手首を捕まえる。
予想外の冷たさに驚いて、私は思わずファイルを落としてしまった。
ばさりと派手な音を立てたファイルからは、せっかく整理した書類が見事に滑り出してゆく。
床に広がる白い紙の海に、私は何だか泣きたくなった。
コレ、順番通りに並べるの、どれだけ時間かかったと思ってんだ!
「うるさいなぁ!だからって藤和に説教される筋合い無い!」
「紅音ちゃんは俺が遅刻するたびに、お説教してくれてたけど?」
「だから!間に合ったって言ってるじゃん!中野紅音の無遅刻無欠席レコードに、まだ傷はついてないですから!」
「何そのレコード。紅音ちゃんって、たまに頭悪いよね」
うっさい!ほっとけ!!
勢いで言った台詞に、冷静な突っ込み入れんな!!
空気読めよ!
藤和の言葉に、顔が熱くなったのがわかる。
依然つかまれたままの手首を振りほどこうとした瞬間、予想以上の力で引き寄せられた。
足元の紙に滑って、私はあえなく藤和の胸に倒れこむ。
意外と、人体に顔面をぶつけるのは、痛い。
「なにすん・・・・」
「おしおき」
顔を上げた私の目の前で、藤和がいたずらっ子みたいな表情をする。
ぐっと顔を寄せてくる藤和に、とっさに私は拳骨を打ち込んでいた。
ごつんっ
二人だけしか居ない生徒会室に、ものすごい音が響いた。
勢いで後ろによろけた藤和を見て、さっと体温が下がる。
しまった。と思ったときには、遅かった。
「痛い」
低い声で言って、藤和がこちらをにらみつけてくる。
普段飄々として、子供みたいに我侭で、よく言えば素直な藤和も、怒るときは怒る。
「何で殴るの」
すでに問いかけではない口調で、藤和が詰め寄ってくる。
私は無意識に身をこわばらせて、背の高い藤和を見上げた。
心ではおびえているくせに、私の口は、いつもの勢いで怒鳴り声を上げる。
「何怒ってんの!?そっちが悪いんじゃん!今何しようとした!?つーかもともと、遅刻したからって、藤和におしおきとかされる筋合いなし!」
一気にまくし立てる私にも、全く動じた様子を見せない。
やばい。これは本気でやばい。
こう見えても私は、か弱い女の子なのだ。
「紅音ちゃん、理由はどうあれ、暴力はいけないんじゃなかったのかな」
確かに、そんな事を言った覚えがある!
「暴力に訴える前に、ちゃんと話し合いで解決しなさいって言わなかったっけ」
言いましたね!
「とっさに手が出たなんていい訳、最低なんじゃなかったんですか」
いや実際、本当にそう思ってましたとも!
じりじりと後ずさりする私を、ついに窓際まで追い込んで、目の前に立ちふさがる藤和が、薄暗い瞳でこちらを見下ろしている。
はっきり言って、怖い。
私はきょろきょろと辺りを見回した。
藤和の背後にある出口は、果てしなく遠い。
しかも律儀に、きちんと閉めてある。
私はカーテン越しに、窓に背をつけながら、くすんだカーテンの端を強く握った。
あぁ、せめて生徒会室に来たときに、カーテンくらい開けておけばよかった。
そうすれば、外の生徒に助けを求められたかもしれないのに。
「なにするつもり、藤和」
私はきっと藤和をにらみつけ、最後の抵抗を試みる。
藤和はじっと無言で私を見下ろしている。
藤和の両手が、カーテンを引いた窓に、押し当てられる。
そのまま、藤和が私に顔を寄せてきた。
耐え切れずに、ぎゅっと私は目を瞑る。
力づくなんて嫌だ、って。
言ったのは藤和なのに。
泣きそうになって固まっていると、耳元で藤和が私を呼んだ。
「紅音ちゃん」
それは、何だか泣き出しそうな、悲しい声だった。
驚いて目を開けると、すぐそこに、叱られた子供みたいな顔をした藤和が居る。
「紅音ちゃんは、俺とキスしたりするの、いや?」
とたんに、すうっと指先が冷たくなっていくのが解った。
あぁ、また。
傷つけてしまった。
「嫌なんて・・・・」
「じゃぁ何で、嫌がるの」
子犬みたいな潤んだ目をして、まっすぐこっちを見つめてくる。
まるで好きな子をを泣かせて気まずくなったガキ大将みたいだ。
私は馬鹿みたいにおろおろして、藤和の頭を撫でてやる。
それでも藤和は、泣きそうな表情のまま、何も言わない。
当たり前だ、これで機嫌が直ったら、本当にこの人はただの子供か犬だ。
「藤和・・・・」
さっきの恐怖より、ずっとつらい。
何だってこの人は、こんなに素直でまっすぐなんだろう。
「ごめん、藤和。そんな顔しないで」
「じゃぁ慰めて」
「・・・あぁ?」
いつの間にか私の前に膝をついて、がっちり私の腰を抱きこんだ藤和が、いきなり言う。
表情は依然泣き出しそうなままなのに、腰に回された腕の力は、弱弱しいわんこの表情とは、まるで反比例していた。
「何それ!?騙したの!?」
「ちゅーしてくれるまで離さなからね」
藤和の演技に気付いて、今更抵抗したところで、後の祭りだ。
私の胸の位置で、藤和が無邪気に笑っている。
「無理やりなんて嫌だから、やっぱり初めては紅音ちゃんの方からしてもらいたいなァ」
いやいやいや、それは無理やりって言うんじゃないんですか、藤和さん。
カーテン越しに感じる、うだるような夏の暑さと、目の前の無邪気な藤和にめまいがする。
強い日差しもさえぎられ、静まり返った室内には、私と藤和しかいない。
ここは、藤和の庭。
私は、藤和の箱庭に住んでいる。
一切合切を管理され、支配された綺麗な庭に、住んでいる。
だから抵抗なんて無駄だって、ホントはとっくに気付いてる。
<了>
|