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紅音(あかね)ちゃんと喧嘩をした。
いつものように言い争いをした。
けれど、いつものように、彼女は許してくれなかった。
僕が何か、我侭を言ったのだと思う。
けれどどんな我侭だったのかが思い出せない。
思い出せないから、きっと彼女は腹を立てているんだろう。

 

 

nostalgie
藤和と紅音・3

 

 

放課後、彼女を探していると、思ったとおりの場所で見つけた。
人気のない生徒会室で一人、何かの作業をしていたのだろう。
疲れて居眠りをしていた彼女は、机の上に上半身を乗せ、窓のほうへ顔を向けて眠っていた。

午後のゆるい日差しが、視界をセピア色に錯覚させる。

僕は彼女を起こさないように、窓際のデスクに着いた。
頬杖を付いて、いつもより幼い寝顔を観察する。
眠っている時は、流石に眉間にしわを寄せないようだ。
昨日までの彼女の顔を思い出して、無意識に笑みが浮かぶ。

気だるい午後の光が、窓に歪められて降り注ぐ。
ふと、此処がどこだかわからなくなるような、不安定な感覚に足元をすくわれた。

遠くのほうから、合唱部の嫌に整った賛美歌が聞こえる。

「紅音ちゃん」

彼女の寝顔の呼びかける。
依然眠りこけたままの彼女から、返答は無い。

空気の流れが、遅く感じた。
扉も窓も開いたままなのに、一切風も吹かず、その場は完全に固定されていた。
予めそこにあって、然るべきもののように。
まるで僕独りだけが、居てはならないもののように。

「紅音ちゃん」

今度は少し、強く声を出した。
そのつもりだったのに、彼女はまた、微動だにしない。

 

セピア色の視界と、歪んだ空気と、遠くの賛美歌。
僕だけを置き去りにした、完全な世界。

 

ここに、僕は必要ない?
君に、もう僕は必要ない?


ここには、全てがそろって見えるから。

 

「・・・・紅音ちゃん」

何で喧嘩をしたんだっけ。
僕はどんな我侭を言ったんだっけ。

それを思い出さない限り、君は僕を見つけてくれないのだろうか。

無意識に手を伸ばす。
陰が長く伸びて、紅音ちゃんの頬に届いた。

その瞬間、音にもならない不思議な感触が、僕の意識を押し流し始めた。
次々とちぎれて、空気の波に飲まれていく。
それは意識、感情、どんなものかすら解らない。

 

ただ、単純に、恐ろしく思った。

 

「紅音ちゃん、」

無意識に、声が出た。
その言葉が、どんな意味を持っていたかもわからないくらい、頭の仲が混乱していた。
何のきっかけで、崩れ始めたのかすら思い出せない。
僕はこんなに脆い生物だったのだろうか。

 

だって、ここに。
そこに、いるのに。
目の前の完全な世界に、君は居るのに。

 

僕の居る、ここに、君が居ない。

 

ようやく目を覚ました、黒い両目がこちらを向く。
細切れになって、霧散しかけた僕を、その目が確かに捕らえていた。

「名前、呼んで」

貴方の声で、呼んで、思い出させて。
もう、その声でしか、引き止められない。

「・・・・泣くぐらい反省してるなら、許してあげるよ。素直じゃないね、藤和」

歪んだ空気の中から、愛しい彼女の声がした。
多分涙が出たのは、喧嘩をした事に反省したからではなくて。

 


ここに、貴女の声が聞こえたから。


<了>

突然ふと襲い来る孤独と愛情。切望。