……………a colorless child…

新しい職場での始めての仕事は、やはり鷹狩の御供だった。

「アイスタン皇子、鷹狩お好きですね…」

愛馬の聖(ひじり)にまたがり、皇子の取り巻きたちの後をついて行くバァンは、傷心し切った声で従者に呟いた。

「…はい…。もう毎回、胃が痛くて痛くて…」

バァンの言葉に、前を行く従者達が、うなだれる。精一杯の笑顔を浮かべ、バァンは泣き出したい気持ちを必死に押さえた。

「おいバァン!こっちへ来い!」

一団の先頭から、若い男の声がした。藍色の瞳を見開き、バァンが回りの男たちに視線を配る。青ざめ、同情するような表情を浮かべ、従者達はバァンのために道を開けて行く。聖の腹を蹴って前に進めると、片腕に鷹を溜まらせて準備万端の、アイスタン皇子がこちらを見ていた。
アイスタン皇子は、現在のマゼンダ王国を治める国王の第三子目の子供だ。父親譲りの明るい金髪と、透き通るような青い目をした青年である。

「何でしょう皇子…」

バァンが尋ねると、アイスタン皇子は何故か気分を害したらしく、そんな事も解らないのかとばかりに睨みつけてきた。

「バァン、皇子を馬から下ろして差し上げてください」

背後から従者の囁き声。従者の声を聞きつけたらしいアイスタン皇子は、バァンを睨んでいた目をそのまま、その男に向けた。

「申し訳有りません…」

萎縮して、男が返す。バァンは馬から下りると、アイスタン皇子の乗っている馬の手綱を取った。

(下ろすったって…)

兵士としての教育しかうけていないバァンには、当然そのような事は解らない。皇子の足を掴んで引きずり下ろしてやろうかとも思ったが、止めておいた。
そんな事をすれば、山一つが全焼するどころの騒ぎでは済まないだろう。
バァンが黙りこんでいると、いい加減痺れを切らしたのか、アイスタン皇子が憤然とした声を出した。

「手を」

言われた通り手を差し出すと、自分の腕に居た鷹を乗せてくる。意外な重みに驚くバァンの隣で、従者がなれた様子で皇子の周りに集まってくる。

「お前、本当に役立たずだな」

ふんぞり返ったアイスタン皇子の態度に、だったらもとの場所に帰らせてくれ、と出かかった言葉を、バァンは慌てて飲みこんだ。

 

 

 

空は快晴。ある一定の人間の大いなる企みで異動させられてしまったバァンの代わりに、第三班に居た青年がリバの班に加えられる事になった。
一応の挨拶を済ませて笑う新入りは、班員の中に目立つはずの金髪が居ない事に首を傾げた。

「あぁ、あのクソガキなら無断欠勤だ」

朝、他の班員に部屋まで迎えに行かせると、そこにルゥークの姿はもう無かったと言う。
内心むかむかしながらも、何処か心配してしまっている自分が妙に情けない。それを振り払うかのごとく、リバは今日の仕事内容を部下たちに説明し始めた。

「今日の任務は貿易国からの輸入物資の運搬だ。途中山岳地を通る。物資には軍備品も多く含まれているので、細心の注意を払って行う様に」

朝の伝達次項がこんなにもスムーズに行った事など、珍しいのではないだろうか。
妙な違和感に喜びながらも、何処か物足りなさを感じてしまう自分は、もはや病気だ。

「以上!」

言って書類を元のケースにしまうリバ。それを合図に、班員達は各々、出発の準備に取りかかった。

(なーにやってやがんだよ、あの馬鹿ガキは)

空を見上げて何気なく溜息を吐く。ぼりぼりと頭を掻いて、リバは新しいタバコに火をつけた。
昨日、食堂でルウィン・アークが暴れていると聞きつけて、リバは何故か耳を疑った。礼儀の成ってない奴だとは思ったが、まさか乱闘騒ぎを起こすなどとは思っていなかった。
ルゥークはいつも何処か飄々としていて掴み辛く、子供らしからぬ子供だと思っていた。

(逃げんのかてめェ!喧嘩売ってきたのはそっちだろ!?)

食堂に踏み込んだ時、もはや戦意を失って逃げ出そうとする男の襟首を締め上げて、怒鳴り散らしていた少年は、自分の意識の中に造られていたルウィン・アークとは程遠い物だった。
ただの子供の様に見えた。
同時に、激しい恐怖を感じた。
胸倉を掴んでいる男、足元に転がされた男、白目を剥いて泡を吹いている男。
本当に殺すかも知れないと思った。

(…だよなァ)

どんなに『子供ラシサ』が欠けていようとも、ルゥークは未だ十五の子供なのだ。
元々マゼンダの生まれではないリバにとって、十五で成人すると言うこの国の慣わしは、どうも馴染まなかったが、長い歴史のあるこの国では、年齢が十五に達すると同時に、どんな人間も人並みの大人として扱われる。
本気でルゥークを殴ろうとした自分に縋りついて、バァンの訴えた言葉が引っかかる。ルゥークがあそこまで、自我を失うほどに、キレた理由は何なんだろう。それを促したバァンをも、彼は拒絶した。

(…俺、悪くない)

俯いて搾り出されたルゥークの声は、厭に子供じみて聞こえた。
理由、聞けば答えただろうか。

(聞く前に俺がキレてちゃ、話になんねェけどなー)

煙草の煙が空に昇って行く。再び頭を掻きながら、少し反省するリバだった。

 

 

 

ざわざわと行き交う足音、森にはふさわしくない音だと思った。
慣れた様子で鷹狩に興じるアイスタン皇子を遠目に眺めて、バァンはふと上を見上げた。不機嫌そうな雲が、西の空から広がって来ている。

「雨が降りそうですね」

芝の埋められた野原に、大きな傘を立ててアイスタン皇子を見守る従者達に声をかけた。すると彼は顔を上げ、何処か安堵したような表情を浮かべる。

「本当だ、これでは狩りは続けられませんね」

残念そうな言い方をするが、本音を言えば、一刻も早くあの手の掛かる皇子を、皇居に連れて帰りたいに違いない。男は先ほどから一度も落ち着けていない腰を再び浮かせて、アイスタン皇子のもとへと駆けて行った。
アイスタン皇子は、マゼンダの王宮には住んでいない。だから宿舎に帰る前に一旦、皇居まで行って皇子を送り届け無くてはならない。

(濡れるのは、別に良いけど…)

物凄く遠回りだなぁと思う。
しかしこの手間も、そのうち解消されるのだろう。護衛担当に抜擢されたからには、常に皇子の傍に身を置いて、彼を守らなくてはならない。

(部屋、変わるのかな…)

アイスタン皇子は、他の王子たちとは違う。父親は確かにマゼンダ国王では有るが、母親が同盟国のアシュタルト帝国の法皇・アシュタルト三世の実の娘なのだ。皇女を正式に娶る事は無かったが、アイスタン皇子はマゼンダ・アシュタルトの友好の証として大切に扱われてきた。
最も、その出生の秘密を知っているのは、マゼンダ国内でも一握りの人間にしか過ぎない。
今回、アイスタン皇子の護衛担当に抜擢された事で、バァンもその事実を知らされる事になったのだ。

(何か、複雑だよな)

国王と皇女を両親に持ちながら、その二人ともそばに居ないのだから。その上、両親について、口外する事は許されない。
表向き、アイスタン皇子は国王と側室の間に生まれた子供、と言う事になっているらしい。皇居に住まわされているのも、彼がアシュタルトの親善大使とされている事が理由だとか。

(…親かぁ…)

ぼんやりと従者になだめられている青年を眺める。意思の強そうな瞳は、そのまま国王と同じ色を受け継いでいると言うのに。

(勝手だよな)

大人の都合で、親善大使だの何だのと。結局、殺すわけにも行かないから、仕方なく育てているだけなんだろう。
バァンにも、親が居なかった。父親のガス・グレンとは血の繋がりは無い。生まれてすぐ、目も開かない状態で森に捨てられていたのだそうだ。

(俺には、ガス・グレンが居るけど…)

アイスタン皇子には、誰が居るんだろう。

ぽつり

小さな雫が頬を打った。空を見上げ、ちっと小さく舌打ちする。大慌てで皇子に駆け寄って行く従者達は、今まで野原につき立てていた笠を持ち、アイスタン皇子を濡らすまいと必死だ。
バァンは馬の手綱を取る。前を行く従者に引かれたアイスタン皇子の馬が、一つ大きく身体を震わせた。

「ああ全く!ついていない」

ぶつくさ言いながら馬に運び上げられるアイスタン皇子は、馬上のバァンに気付くと、再び朝と同じ事をつぶやいた。

「手を」

バァンが腕を持ち上げると、やはり鷹を乗せてくる。その大きな白い羽は、微かに雨で湿っていた。

「藤莉はどうやらお前の事が気に入ったらしい」
「トウリ…?」

どうやらこの鷹の名前らしい。聞きなれない響に、バァンは思わず繰り返していた。

「アシュタルト帝国からの寄贈品だ。あちらの言葉で、美しい花の名前をもじってあるとか」
「…そうですか」

アイスタン皇子が馬の腹を蹴る。静静と、馬は皇居に向けて進み始めた。

 

 

 

ひゅるひゅると風が駆けぬけて行く。前を睨みながら、木の枝から枝へと飛び移って移動を続けている子供の顔には、表情らしきものは浮かんでいない。
ガサリと葉が震え、自分ではない者の気配が近づいてくる。子供は腰のダガーを抜いた。気配に意識を集中させる。

(…まず一人)

子供は移動を止めた。ガッと鉄板を仕込んだ靴のかかとが、木の枝にこすれ、熱を発する。

ガキンッ

静まり返った森の中に、似合わない金属音が響く。
頭上から自分の体重もろとも襲いかかってきた男の刃を受けとめ、子供は微かに左足を後ろに引いた。
刹那。ぐるんと視界が反転する。

「ぐぅ!?」

男が、低くうめいた。それと同時に子供は、男の喉につきつけた刃をほんの少し奥に押し込む。

「…がっ…ァ!」

黒いマスクの下で男が口を開いたのが解った。ずぶりと筋を裂く感触。更に力を込めるとごりゅッと骨が切っ先に触れた。

「ぐァあぁ…ッ!」

獣のようなうめき声を上げる。それを見下ろす子供の顔は、やはり何の色も浮かんでいない。
闇に紛れたその姿は、まるで黒猫の様に小さくしなやかだった。

ズリュッ

ダガーの刃が根元まで突き刺さる。切っ先は既に木の枝にめり込んでいた。

(まず、一人)

枝に足をつけて、反動で刃を引きぬく。男の喉に残っていた空気がそれと同時に吐き出され、恨みがましい声を発した。
標的は、三人。
ひゅッと風を切って、刃から男の血を飛ばす。べたべたと纏わりついてくるこの感触には、慣れたとはいえ、到底好きにはなれない。
だがその内、考える事も無くなるだろう。…彼の様に。

(後、二人)

ダガーを腰に戻す。再び子供は枝に飛び移り、子猫のごとき速度で森を駆けた。
チクリ、と右の大体部に痛みが走った。走りながら確認すると、そこに小さな傷が走っている。微かに滲みでている血液に、子供はちっと舌打ちした。
あれだけの小物に、傷を負わされてしまったと知れたら、またあいつらに罵られるのだろう。

(能無しの癖に)

文句だけは、一人前に言う。

ガガガガガガガッ

鈍い音を立てて無数の刃が飛びこんでくる。素早く腰の獲物を引きぬいて、子供はその刃を端から叩き落して行った。
カンカンと金属同志のぶつかりあう音が響く。子供は一旦体制を落し、地面へと位置を変えた。ざっと靴が土を削り、湿った匂いが立ちあがる。
この調子で遣り合えば、こちら側が不利になる。遠距離から攻撃しているであろう相手側には、今の音で場所がばれてしまった。

(…二人目)

だが子供はあえて、技と足音を立てて地を駆ける。刃は正確にその後を追ってきた。

ガガッ

黒く細長い刀身。初めて見る武器だ。身をかわし地を転がりながら、子供は地べたに座り込んだ。左の大体部の出血が酷くなって来ている。
無言で見下ろし、これで騙せるだろうかと少々不安になる。だが意外にもあっさりと、敵側の男は姿を現してくれた。

「足を獲られたら、走れねェよな」

自分の刃が当って出来た傷だと信じて疑わない。程度が知れた。

(二人目)

息を殺し、男との間合いを詰める。手負いと言えど、相手がこちらを警戒しているのが解った。
子供の持っている武器はダガーだけだ。近距離でなければ、その効果を発揮できない。

「お前が…『色の無い子供』か…」

森の木々を透けて差しこむ微かな光に、子供の姿を確認して、男はうめいた。
『色の無い子供』、仲間内で遣われる呼び名を知っている辺り、やはり危険人物と繋がりの有る兵士なのだろう。そうなれば、ますます生かして置く訳にはいかない。
男が刀身の長い剣を持ち上げたのと同時に、子供は素早く動いた。

「!!」

小さな身体を利用して、容易く男の懐にもぐりこむ。子供は一瞬の躊躇も無く、男の左胸に刃を付き立てた。

「ぐァあ…ァッ!!」

痛みに目を見張る。男が傷に自覚するよりも早く、子供はダガーを上へ振り上げた。がりがりと肋骨と鎖骨を削り、子供の刃は男の身体をばっさりと斬り裂く。肩から再び顔を出した刃は、不思議と大して血に汚れていなかった。

(…後、一人)

足元にどさりと男が倒れこむ。目と歯を剥いたままの男の顔は、恐ろしいと言うより、もはや滑稽だった。

「…『色の無い子供』…」

ぼんやりと、声が出た。全身に流れる男の返り血が、子供の身体を染め上げている。

(これで、最後)

紅色の全身。むせ返るような鉄の匂い。音も無く背後に現れた男が、剣を振り上げていた。

ガッ

湿った土を、鍛えられた鉄が抉る。微かに差しこむ光が、頭上に有るはずも無い子供の影を映していた。

「あんたの血は、何色?」

聞こえた声は鈴の様に軽やかで。
空中で態を入れ替えた子供のかかとが、遠心力と体重に加速されて、男の頭蓋を砕いた。

グジャッ

鈍い音。倒れる際に放つ腐敗したような匂いと脳髄が、子供の身体に飛び散った。

「…こんなに真っ赤なのに、…色、ないんだなぁ…」

ぼんやりとした声で呟く子供に、ようやく浮かんだ表情は、緩やかな笑みだった。


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